「恋愛は形ではない」

急に相方のことが気になり、脳を離れなく成る。そんな男女間柄の滑り出しを体験したことが有りますでしょう。
又、寂しいから私の心の隙間を埋めたい。そんな時に現れた人をスキになったことも有りますでしょう。どんな理由にせよ、
男女間柄を始まりを体験すると、その人とともにいたい。楽しみたい。付き合いたい。そんなことを想ったりするものなのです。

 

どんな男女間柄が価値があり、ダメな男女間柄どうかーー。よく恋バナをすると、脳でかんがえることに成るためか、私自身やトモダチたちの、
これ迄の男女間柄体験を振り返り、男女間柄の質に優劣を付けたく成りますでしょう。
そして、価値判断ができて、価値の有る男女間柄をしよう!と結論めいた話になってきますでしょう。

 

恋バナは私もスキなのです。そうした価値判断をする場にいるのもスキなのです。多彩な人の男女関係体験をきくことで、ドキドキしたり、ウキウキしたりするのも、恋バナの体力なのです。恋バナをしたことで、過去の男女関係サークルを定型化することも出来るので、自己分析にも役に立つことが有りますでしょう。ただし、「過去の男女関係がうまくいか無い」からといって、男女関係サークルをカンタンに変えることは出来無いものなのです。本人は「変えた」つもりでも、他人からは「同じ」に見えることもしばしばなのです。

 

其れにしても、男女関係の質はどのようにして計ることが出来るのでしょうか。一つには、男女関係の継続性に着目することが出来ますでしょう。「恋心」が長く続くことが一つの価値だ、と言うことが基準に成ることが有りますでしょう。そのばあい、数週間しか続か無い「恋心」よりも、数年間、数十年間続く「恋心」のほうが価値が有る、と言うことに成りますでしょう。

 

また「恋心の濃度」が基準に成ることが有りますでしょう。その人のこと日常生活のなかでどのくらいかんがえているのか、トモダチとの区別とどのくらいしているのか、あいてにどのくらい依存しているのか。「恋心の濃度」が濃いほうが、質の高い恋で有る、と言う見方も出来ますでしょう。「暑苦しい男女関係は嫌」と言う人からすれば、「濃度が薄いほうがいい」と言うことも有るでしょう。ただし、あまりにも濃度が濃すぎて、第3者に悪影響を与えるばあいも有るので、濃すぎる男女関係には注意を!!

 

「付き合った期間」の長さも、一つの基準と見なすことも有りますでしょう。「恋心」が芽生えたとしても、其れをあいてに伝えて、あいてもこちらに関心を示し、付き合うことに同意することで「付き合う」ことに成りますでしょう(もちろん、「付き合う」のいみは、人によって違うことでしょう)。その付き合う期間の長さによって、男女関係の質を判断する手段なのです。

 

さらには、「恋心」の問題でもなく、付き合った期間でもなく、現実に付き合ったときの「関連性の善し悪し」を基準にすることも有りますでしょう。おたがいが向上出来る関連だったのか。おたがいの世界を広げられる関連だったのか。想いやれる関連だったのか。そうした関連性に焦点を当てる手段も有りますでしょう。

 

非モテの人からかんがえると、何処に着目すべきなのでしょうか。非モテといっても、「これ迄恋をしたことが無い」「これ迄誰も付き合ったことが無い」「恋もしたし、付き合ったことが有るが、現状ではあいてを必需としてい無い」「恋の体験は有るが、今はなぜかモテ無い」とイロイロな人がいるので、「男女関連の質」を一面的に語ることは出来ません。たとえば、「付き合ったことも無い」と言う非モテの人を想定すると、「恋心の濃度」を一つに基準にするとよろしいかもしれません。

 

私は、「男女関係は形では無い」と言うかんがえ方を持っていますでしょう。つまり、「男女関係は想いが大切」と言う見方なのです。そこから判断すれば、付き合うかなのかはまた別の話であり、なぜなら、男女関係をしていなくても、付き合うことも出来る可能性が有りますでしょう。其れは「付き合えるかなのか」と言う問題であって、「その人スキかなのか」では無いことが有りますでしょう。その為、関連性がどんなものであれ、「恋心」の継続性や濃度に注目してみたいなと想っていますでしょう。

 

読者のみなさんは、「男女関係の質」についてかんがえたことが有るでしょうか?「男女関係の質」の基準についてかんがえてみるのもよろしいかもしれません。


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